Q:プロとアマチュアの違いって何ですか

A:
 音楽の世界では、昨日今日ではなく大昔から、プロフェッショナルとアマチュアの差は厳然と存在します。
仮令演奏や歌唱が幾ら上手で、聴く人全てを泣かせることが出来る人でも、その人を「売る」人が居ないなら、そのプレイヤーはプロではありません。
どんなに多額をそれで稼ぎ出す人でも、「主たる収入を音楽展示から得ている」人だというだけの自営業者です。
 何処かの路上やお店や、広場とかばかりで演奏している人でも、某かの人や会社状の組織が加味してその「仕事」を用意しているなら、大きく圧していうと有償であれ無償であれ、その奏者はプロとして活動しているといえます。
 たまたまの知己筋やお友達から頼まれたり、自分自身で演奏や演技の場を探したり作ったりしている段階では、極めた話ですがプロと称することは、この世界では憚られますし、元々通用しないのです。むしろミュージシャンというか、音楽家というべきです。そうしてみると、全く個人的趣味で音楽を楽しんでいる人でも皆音楽家です。

 何々家(ナニナニカであって家系飲食店ではない)、というと皆専門家のようですが、法律で定められているそれは、農家と漁家しかありません。農家は営農を、漁家は漁業をすることを免許されています。音楽家には、免許はありません。

 どんな職業でも、一点収容の状態では、プロとはいえません。何かを作り出すことが、幾段階かの仕事の流れを作り出すことを約束されていてこそプロといえます。つまり、音楽家なら、その音楽が誰かの商品となり、その後段階を経て聴く人求める人に届けられなければならないことになります。自分で見つけた場所で演奏して、自分で作ったレコードを売っていることは、プロの行いではないのです。

 プロは、アマチュアに比べて辛いことが多いのです。やりたいことがやれるようになったプロは、その人がいる業態で相当認められ、不動の価値があることになりますが、かなり名を知られた大家(たいか)で、それを認められていても、それだけで生計が成り立つ人は割合少ないものです。そのため、求めに応じた業務を余儀なくされます。アマチュアのいいところは、自由奔放だということになるでしょう。つまり、音楽家なら、自分の趣味にあわないことはやらないといえるのがアマチュアなのですね。このことを突き詰めるなら、プロの究極の目的は、アマチュアとして稼ぐことになります。皆さんその為の長い旅をしているのです。

 アマチュアの奏者・歌手でも、今は難しい問題が沢山あります。演奏という場が、いくら自分が好きで用意した場所で、自分の好き勝手が認められるべき状況と立場にあるといっても、聴いてもらう為には、「万人ならずとも相当な人々が知っている」出し物を主に用意して、その合間に自分の好きなことを「やらせてもらう」ようにしなければならないのが、今のアマチュア音楽のシーンです。プロの世界が巨大化し過ぎたことで、むしろアマチュアの自由度は失われて来ています。だからといって、出し物を用意するのも、容易ではありません。洒落ではなくホント大変です。無償の演奏展示なら、「良く知られた」他のプロたる流通経路で供給される楽曲を奏でることは宣伝です。「この奏者もこれが好きなんだ」と、聞き手との距離感を縮める役割を少しだけ享受することにはなりますが、そのものが金銭授受に結びつかなければ、元々の楽曲提供者や作者にとってはユーザーです。しかし、ひとたびそこに「料金」が発生するようになると、楽曲の権利を持つ人に対して支払をする義務が生じます。著作権使用料というものです。今普通に聴かれるポピュラーな映画音楽や歌唱曲、TV番組のイメージ・バック音楽も、総べて著作権をもっていますから、アマチュアといえどもそれを無視して恩恵に与ることは為されるべきではありません。そのため、入場料を必要とするテーマパークや公園などで、アマチュア音楽家を集める時は大抵、オリジナル曲かクラシックナンバーを、と指定されますが、そのため、「聴いて貰えない」という問題も起こります。アマチュアを使う立場の人は、「聴かせられる」ように、権利料を負担してでも聴ける演目を使わせるように心掛けるほうが、折角つくる出し物の成功が形になるような気がします。

 プロになるには、誰か特定の「売主」と契約が結べなければならないのですが、これは複雑です。
 演奏者や役者を「派遣」するには、芸能家紹介所という免許を持っている必要があり、そういう人や会社を「事務所」といいますが、そういうところが何処でも、何等かの競演会で賞をとったような人ばかりを募っている訳ではありません。そういうところもありますが、「まるで音楽と関係なさそう」なキャラクターを使うところもあるし、両方を要求するメジャープロダクションもあります。つまり、プロになるにも、戸口が沢山有り過ぎてどう表現したものか分からんといえます。しかしながら、そういうところが加担していないと、大勢が何処でも買える状態でレコードやビデオを売ることは出来ないし、自作自演に価値を与えることも出来ない、ということです。
 特定の演奏場所がある、例えばお店や劇場、スタジオなどが決っている奏者や歌手、踊子さんもプロです。月給をとっていたり、出番で日当や時給を得ていたりします。これは、好き嫌いは「お店」が決めることですから、契約の下にいる奏者演技者はお店の要求に従ってその性能を発揮するのが決まりです。アイリッシュパブやジャズ喫茶、歌劇場やレコード会社の専属奏者は立派なプロプレイヤーなんですよ。そこでしか聞けない演奏を展示披露するのが役割の店員・社員であり、そこが人気を賭けた唯一無二の逸材なんです。常連さんは目も耳も厳しく、精進を怠れません。流しの奏者がふと居酒屋に現れて、売上をお店に渡していたとしたら、地元の事務所が後から請求して支払を受けています。まるまま持っていったとしても、既にお店と繋がりがあり、要求されているから通って来ている「所属者」で、これもまたプロとして働く音楽家です。流し演奏はレパートリーが膨大に必要です。昨日の新曲を聞かせられることが名を挙げ親しまれる手段ですし昭和演歌も軍歌も出来なきゃ嘘。楽譜がなければデキマセンなんていっているようでは勤まりませんので、魅力的ですが、そりゃあ大変です。
 敢えて加えるなら、何処か特定の「お宅(民家ですよ!)」で演奏を披露して給与を得ているような人が居るなら、これも外してはいけません。欧米には、今でもそういう人が居ますし、そういうお宅があります。まるで中世の貴族社会のような暮らしですね。羨ましい。

 音楽を志す人、または志した人の多くが、制約の多い「プロ」の道を離れていきます。しかしながら、何等か他の収入手段の傍らで、自分の力で教授したり、演奏の場を作ったり、録音してレコードにしたものをぽつぽつと売ったりあげたりして広めるのを自らの楽しみとして暮らしてゆくミュージシャンとしての生き方も、音楽家のカタチだと思います。地下道の演奏で「飯を喰っている」プロ裸足の人もいる世の中ですから、余りこだわらず可能性を飽くなく追求していって下さい。
そして、そういう志で暮らしている人を「アマチュア」と括って、一銭も払わないわ何の礼も贈らないわで利用したりしないで頂きたいと思います。「アマチュアなんて...」と一蹴するのなどはモッテノホカです。先んじて努力した人は、続く人のそれに協力出来ることを、歓びとしているものなのです。音楽は、歓びに満ちている筈ですから、歓びが歓びを誘うのは当然で、努力が活きる機会もまた、酬いです。
皆、各々に努力しているのですから、応分の酬いを心掛けるべきです。

 それを言うなら、何ごとに対してもです。それを怠った社会が今どうなっているか、皆多少なり傷を受けていることを、忘れないで。

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