読者サービス:検品について

私どものようにモトモト楽器を扱うことがなりわいであるお店は別格ですが、最近はホームセンターなどと呼ばれる、趣味や生活物資を山積みして大量販売する大規模店でもバイオリンを見かけるようになりました。ホームセンターの品揃えは、「一種単名柄」に陥らないよう、いろいろ比べ買い物が出来るように幅広く、道具工具一つとってみても高いものも安いものもあるようになっていますが、こういう、特別なカテゴリのものとなりますと、このカテゴリそのものが「一種類」となります。今迄はギターや電気鍵盤楽器主体だったものにバラエティを与える為に、ラッパを置いたりバイオリンを置いたりするのです。私は個人的にラッパやバイオリンよりサクソフォンの方が、音を安定して使い易いと思うのですがどうでしょうかね。難しそうに見えるあの蓋の羅列がいかんのでしょうか、余り置いていません。そこで、そういうお店に楽器の専門家がいるかと言う問題になりますが、先ず居ません。バイオリンは割合後発な方ですから、前に置いてあった例えばラッパの製造元にバイオリンがあれば、それを取り寄せて並べるのです。検品にはメーカー的検品と店的検品があり、その内容は違って来ます。メーカーはコレデヨシといって発送するのですが、店では不都合な場合が多いのです。金額が大きな商品は、メーカーも仕入段階で販売的コンディションを要求しますので、レベルの高い検品を実施します。小額のものには、残念乍ら売れる初期段階である仕入れに於いて、そこまで血の通った検品は難しいもんです。それで、その後の不良判断は、販売店に任せられているのです。楽器は割合性能的には単純明快なものです。ラッパや笛関係では、総ての音がその周波数であれば問題ないのです。音質とかそういうことは別にして、音楽は周波数の変化の羅列であることを根本とするなら、それでいいのです。ところがバイオリンには、ピッチも存在しなければ音階も判断しようがありません。問題は、形になっているかということに尽きます。この形感、バイオリンに於いては、様々議論があります。が、演奏出来る楽器になれるかどうか、ただ一ケ所、重要な押さえどころがあります、それは楽器屋なら知らない人は居ないのですが、楽器屋でなければ誰も知りません。ここでお知らせするのはその検査法の一つです。ですから、この内容を、楽器屋でやると馬鹿にされるだけでなく、信用されなくなりますよ。楽器屋は専門店ですから、そんなことは先刻承知で実施しているのです。それを信用しないで来店する顧客は、顧客にあらず、という、門戸の狭さが楽器屋にはある。それが専門店の誇りで、その誇りに価値を見い出して訪れるのが顧客であるという、理論です。買い物額の大きさだけでは、良いお客にはなれないのです。逆に、たまに多額の買い物をする客だけ大事にして、贔屓を後回しにするようでは、良い店にはなれないのです。

お店にて

どうせ試奏等と言いましても、大したことはやれません。高価なバイオリンに要求されるのは、ハーモニクス奏法等特殊でも高度な作曲だけに要求されるそれらが反応よく、かつ大きく響くか等、私共の楽器には余り要求されないことで、それは、既にバイオリンの基礎段階のつくりは完成領域である以上にお手本ともなる品質の上にさらに要求されることなのですが、そうなると、イヨイヨそれを試さねば分かりません。私だってすぐやれと謂われるとまごついてしまいます。そのうえ、高級品なら兎も角、お安いバイオリンのギコギコいう糸巻きで調弦して試奏、となると、時間掛かりますし人目にもつきますし、それだけもたついてキラキラボシやって外しようもんなら大爆笑です。恥ずかしいでしょう。だから.......。

楽器屋でないお店でバイオリンを買う時に、検査すべきは、何より、その作り付けなのです。絶対にこうでなければならないというのはそう多くはないのです。余り多いと、それを楽器と言うのはちょっと、という工業製品になる筈です。バイオリンが要求される基本的な作り付け、それは、運指出来る調整が可能か、という部分です。

まず、お店で楽器を見せて貰うとき、弓を出来るだけ強く張ります。必要以上に張り過ぎなくとも、弓毛が「ぶよぶよ」しない程度には張ります。そうしたら、楽器を横に立てて、表板の角上面に、図のようにあてがいます。図では布を敷いていますが、お店ではケースの中で側壁のクッションに表板が当って保持されるようにおきます。弓を使わず、文具売り場とか工具売り場から定規等を、スーパーかごに入れて来て使ったりしてはいけません。楽器に傷がつきます。弓なら少なくとも傷をつけることはないし、このクラスの楽器では必ずケースと弓は、同じ場所に置かれています。付属品ですから。

このとき、アッパーバウツとアンダーバウツに弓毛が触れる程度で、決して押さないようにしなければなりません。

その後、楽器のエンドの表板上面角を見通します。ちゃんと、トップのラインに毛束の下端が乗るように見通しましょう。
その状態、その視線角度で、ネックの上駒(ナット)が、弓毛の何処に位置するかを見通します。
早い話、弓毛を水糸がわりにつかうのです。

上図は良品の図です。弓毛の、棹とのあいだを内側とするなら、ナットが外側に位置しています。高級品は、押し並べてこの時にナットの上面が毛束外側3〜5ミリ辺りに位置するようですが、私たちはそこまで要求することはありません。

分数楽器でも同じことです。

下図は不合格です。ご覧の通りです。正直言って、ナットの半分位が隠れるものも不良品です。
しのごのいわないでこういうのは買わないようにしましょう。しかし、楽器屋さん、ましてバイオリン専門店は、かくなるものを店頭には置いていません。

 では、何故この時ナットが見えなければならないかを御説明します。
 バイオリンの寸法は、正確にはこの他、アーチの出っ張り具合も関係して来ます。バイオリンの弦に対する抵抗力は、そのアーチに由来する部分が殆どです。アーチが大きすぎると、最終的に弦の長さが増し、必要なピッチを得る為にさらに張力が必要になります。小さすぎると、弦が強く張れないため、太い弦を使わなければいけなくなります。何れにしても、歴史的にこれはバイオリンの曲だと作曲された何れもが、下手をすれば演奏出来なくなる程楽器の性能が変わってしまいます。そこで元の問題です。ネックの角度は、たまたまあれば演奏し易いという結果を齎していますが、本来はアーチをクリアする為のものです。アーチの上端には駒(ブリッジ)が置かれ、弦をテールピース側と指板側に二分します。アーチは、大抵のバイオリンは表板の角をゼロとすると7mm程度のなだらかな丘を形成しています。そこに立つブリッジの高さは30〜33mm、実はこれ分数楽器でも余り変わりません。まあ1/4以下の小型機種は別ですが、1/2位だと大体、4/4と同じような数字なのですが、この辺りの寸法で弦の直線を分断しないと、振動がテールピースに伝達される量が大きくなり、相対して胴を鳴らすエネルギーが損なわれていくというものなのです。で、その3mmの違いは、一種の余裕です。私どもが楽器の調整を依頼され、何も考えずにつまり持主はそれなりの上級者という敬意?に基づいて仕事をするなら、ブリッジの座面からの高さは32mm程度、これを指板上の弦の高さで表わすと、ネック接合部から50mmの有効最高音部位で、D線で3.3mm、E線で2.2mm程度に設定(ブリッジを加工する)します。しかしながらこれは、バイオリンを10年以上も真剣に練習してきたエキスパート向けの数字です。私が例えば演奏するなら、その数字から得られる特別な利点はイラナイから、もっと指を回し易くしたいと、もっと低い弦高を求めます。その下限の大雑把な目安が30mmなのです。弦の太さや構造も、この微妙な範囲で有効に動作するよう、最近は経験だけでなくデータ面からも追求され製造されています。

ナットが、先のチェックで毛の外に3mmも5mmも離れて存在する高価な楽器は、実はより大きなアーチが作られています。昨今の木工技術はコンピューターを駆使して曾てより遥かに遥かに高度で、楽器の設計は経験こそ基にはなっていますがやはり限界迄コンピューター技術で追求出来るようになりました。もう流石にバイオリンといえども、30万50万では手作りだけでこなせる時代は終っているのです。300万でも無理かも知れません。1千万出せば、失敗を繰り返し乍ら2年も掛けて気に入った一つを作ってくれるアーチストが居るかも知れませんね。で、昔は、大アーチの楽器は鳴らないと言われていましたが、今は全く、いや逆に大音量を可能にし、同時に小さな音の表現もハッキリ粒を出せるようになりましたから、ぐっと深いネックの反りをもったスゴイ楽器になって高値で売られている訳です。但しこれは、浅い普通のケースには、深さ不足で入らないことがあります。

 さて、愈々、NGの楽器で、まあ写真のNGは度が過ぎていますから別としても、弦の高さを「エキスパート」並に「下げられる」かという問題の説明に差し掛かります。
 バイオリンのブリッジは、かなり強く弦を押し上げていますが、それでもテールピースに振動は逃げています。じゃあギターのように弦をブリッジマウントしてテールピースを無くせば良いじゃないかと思いますが、そうすると、この胴体の大きさでは音が小さ過ぎて聞こえなくなってしまうのです(私、経験あります)。逃げようと振動する振幅の大きなまだ余裕あるエネルギーを、小さな胴体に伝えて大きな音を出そうというのが長年、バイオリンがこの形この大きさになっていった原動力なのです。小さければ持ち歩き易く保管も容易です。人々がまだ、家らしい家に住めなかった時代に、心の拠り所として音楽は、聞くものもするものも重要だったから、持ち運べ様々な音楽が奏で得る楽器は必要に迫られ、バイオリンは発明されたと考えるほうが工業的です。その為には、フレットは邪魔だったのです(原型と思われるヴィオールにはありました)。で、その振動ですが、これも経験的なものでしょうがこの角度がないと得られないということも同時に発見されている訳です。それを損ね、ブリッジを必要以上に低く(発生角度を浅く)してしまうと、より大きな音を出すには張力を増さねばなりません。増した張力は太い弦でないと支えられません。太い弦はさらに丈夫な母体の上でなければ張れません。そして、これが重要ですが、強い張力を押さえ込む運指にはそれ以上の力が必要ですね。さあどうでしょう。演奏出来る楽器に、それが成り得るでしょうか。

ナットの高さは5mm程ですが、ネックの長さは有効弦長の4割です。NGの写真のように、既にナットが5mm高いとするなら、ブリッジの方でそれを許容する為に単純に計算しても7mm、設定を下げねばなりません。製品としてのブリッジに充てますと、それだけ削ると花柄模様の刳り貫きに達してしまいます。そして、実際、そこ迄下げなくても、張力の増加で、大体普通演奏上は丈夫で切れない筈のD線が、ばんばん切れるようになってしまいます。ガット弦等、最初の調弦で全部切れてしまうでしょう。

じゃあなんでメーカーは、幾ら中国製だろうがなんだろうが、こういう楽器を製品として作り上げてしまうのでしょう。多くの人は「楽器を知らないから」といいますが、それは大間違いです。あべこべに、知り尽しているのです。販売ルートにおける末端迄の、取引相手の環境を、知り尽しているのです。知らないなんて、末端の使用者が甘く見ているから、愈々仕事はやり易い。そういうもんなのです。人を甘く見る人は軽んじられるんですよ。
現在、中国の楽器産業は、製品輸出より半加工品輸出にむしろ傾注しています。世の中で、古い言い回しですがそれは西側で、要求されている高級な普及品の製造が、コスト増大で不可能になって来ている。況して音楽等、罷めてしまえば、又はそこで諦めればそれ以上出費しない、生活上も経営上もシワを寄せ易いもので、さらに全ての産業のみならず生活迄そのベースコストが高くなっている今、自国内製だからといって値上げして高級な普及品をつくったところで、誰も買わなくなってきたのです。PCもブロードバンドもケーブルテレビも、全自動洗濯機もIT家電も要らなかった時代、5万円の普及品は容認されました。月収の3倍だろうとそれでもそれを買う価値があったのです。それが今、その全てが愈々あっても当たり前で、更に2台のマイカーに、支払が40年も続くマイホームも要ると来た日には、下手をすると5万円でも高級品になりかねない。それを、中国が世界中に留学生という形で送った、十数億人から選り抜かれた優秀な社会人であり学生でありリサーチャーである多くの人々が、ちゃんとさぼることなくリポートしたのです。バイオリンも例に漏れず、何百人もドイツにイタリアに留学させ製法を学ばせると同時に、産業構造と需要を学ばせています。むしろ後者が重要で、優秀な学生達は読み取ったのです。同時に広大な国内で材料を探しましたが幾らでもありました。無尽蔵という位です。そして、小ぶりで数が稼げ、単価が高い楽器、特にバイオリンやギターは、国を挙げて取り組む新興産業になったのです。当初こそ世界中から怪しい注文を沢山受けて変なものを作りましたが大昔の話です。ものごとが分かって来たらあとはお手のもの。既に西側各国から学んだ工業技術を流用し、豊富な原料からバンバン、半完成品を作り、先ず高級品を求める者(それを製品にして自社ブランドで売る人)に「高額な単価」で売る為存分に検品選択させ、粗方原価を償却し、残ったものを製品化してそれを世界の購買者(各国のメーカー)に売る。バイオリンなどはこの時点の歩留まり5%ですから、ただになった半完成の、生産総数の9割以上という有り余る程の原材料を完成品の姿にして低い単価で沢山売るのです。勿論検品はされますが、剥がれてないかとか大きな傷があってて間取りやしないかというもので留まります。セット売りにすれば、別の産業も同時に動きます、鞄屋・細工屋・金物屋とそれに続く内職業者...。これが国力向上でなくて何でしょうか。それを、一個幾らで売るのではなく一千個幾らで売るのですから、塊を沢山作ればそれだけ早く準備は完了します。
十個買うと3個は不良といわれる結果はそこにありますが、それを判断するのはこのページの検品そのもの、つまり、基本的な知識の備わった楽器屋なのですが、それが不在の販売場所では、その3個を、買ってしまいかねないですね。
ところが逆に、安くする為だけに尽力されたものを買わなくてすむ効果がこういうやり方にはあります。あちらの楽器でない他産業の人も、これは非常に強調します。また、安く作るだけの産業は余り上流へと成長してはいきませんから、より良いものづくりへ向かう早道でもあるようです。こうして暫く振りに楽器に囲まれるようになりましたが、それが皆中国製品だなんて信じられない位、良くなりました。一人で努力したってこうはなれないものなのでしょう。

エキスパートが居ないお店では、後で「これ楽器になりません」といってもそれがどういう意味だか分かって貰えず、結果気に入らないから返品を申し出ていると思われてしまいます。そうなる前に、チェックすべき所を、最低線でいいからチェックして、後々問題を残さないようにするため、てぶらで出向いた何かの序でに楽器が欲しくなった時、知っておくと有利な検品方法が、これなのです。

以上、大講釈になってしまいましたが、意外な所でバイオリンを買う時は、ここだけちゃんと見て下さい。試奏でキラキラボシ弾いてみるより断然安全...と思います。

うちは店としての検品は勿論乍ら、さらに、私並みの素人さん(子供の頃4〜5年やったけどやめちゃった・・・レベルと思って下さい)がちょろちょろっと直ぐ弾けるように、全数調整しています。まっさらの素人さんは、これでもやっぱりちゃんと練習してちょろちょろっと弾けるようになって欲しいです。上手くなってくれとはいいません。楽しんで下さい。

終ると思ったら大間違い、実はまだ続くんです。

これまでは、うちのV10型位のレベルで特に絶対チェックして欲しい所でした。
うちのV28以上になってくると、白木の原材料(半完成品)を選択したあと、工程は数段階増していきます。塗装工程だけで4段階あることを、現物を分解して確認しています。指板も、未加工或いは機械引き侭の分厚いものを載せていることは先ずなく、磨がれて適当な寸法にされたものが一個一個に載せられています。指板をのせればネックの加工が必要になります。その時に失敗したのでしょう。こういうものがあったりします。

これは分数楽器の例ですが、4/4にもありました。外側に膨らんでいたものならば、調整し完璧に製品化します。狭まっているものは、商品用には修正出来ません。足して直せますが、修理品となります。タイヘンなので、ヤレません。

指板のアーチの性能を御存じですか。ギターにも、多少はありますが、あちらは余り気にしなくても良い部分でもあります。それは、引力でぶら下げ或いは置いて演奏されるものだからに帰結します。ぶら下げるには左右のバランスが取れていれば地面にベタ置きしているも同じです。ひざに置く場合は、基礎部分が自在なので弾き易いように調整出来ます。バイオリンは、中空に飛んでいる状態を左手で維持し乍ら演奏します。肩当てに頼っているようでは上達しませんし、音程さえ中々自由に決められないことが、直ぐ分かります。チェロやコントラバスは、置いては居ますがその姿勢を維持するのは演奏する左手です。手は常に宙に浮いていますが、運指という仕事もあります。狭い弦間を、アーチの齎す距離でコントロールするのですが、平たい指板はコントロールを柔和にする圧力の逃がし場所がなくなり、運指の度に楽器の角度が変わるのです。かくして、アーチの浅い指板が齎す演奏性能は、大変乏しいものになります。こういう性能を追求していない製品を指して、「よくない」と指摘する先生が多いのですが、事実として一切否定致しません。実際、素人としての演奏歴が30年程であったとしても、この劣性を克服する技術は得られませんし、つまりこの為に技術が向上しないというのは、楽器という微妙なメンタリティの呼応を要求する品にあっては、最早この段階ですでに素質がないのです。これが具合が悪いということは、こうして書かなくても、長い年月が経験として確定して来ているので、楽器を知っていればこういう風には出来ない筈なのです。仮令ツクッチマッタにしても、売られることはありません。これは価格の問題ではないのです。やる気の問題でしょうかね。


型番の中に、ひとつでも何か出来の悪いものがあって、それを求めてしまったら、これはだめ(な型番)だ、と、頭から決められても仕方ありません。然し乍ら、歩留まりを面倒と思わず追撃すれば、圧倒的に良いものの方が多いのです。それが工業というもので、その製品なら、よく作られなければ買って貰えないのですから。
要は、よくないものを取り除く検品の手間を、掛けるか掛けないか、に帰結します。

ただ、黙って「良い(高価な)楽器は良い演奏家を育てる」ということを鵜呑みにするようなら、やってられません。誰彼なくプロフェッショナルプレイヤーを目指している訳ではないし、大体、楽しければ良いものでもあります。楽しむ為には最低限達成されているディメンションというのが必要です。いいディメンションは、価格に関係なく与えられる筈です。琴線に触れるような部分での優劣は語れば切りがありませんから、そういうことはさておいて、演奏性能という、根本だけなら、何でも優れたものに出来る筈なのです。


バイオリンは、仕入れてそのまま売れるものは余りないです。

そういうのだけをみると、仕事としては稼げはしないしイマイチですが、ひましているとき、こういう仕事が出来ますとクサリマセンし、在庫品を常に弾いて鳴らしてやれば、時が経つに連れイイオトになっていくのが分かります。結構楽しいので、やります。

御精読感謝申し上げます。ごくろうさまでした。

もどる