普段の取扱いと、演奏の前後は

楽器は、どんな種類のものでも、演奏しない時はケースに収納して下さい。何よりこれは基本です。手に馴染んだ楽器は、価格によらず、入手の容易不容易に関わらず、替え難いものです。突然地震が起こって何かが楽器の上に落ちるかも知れません。椅子の上においておいたらうっかり座った、等の事件が起きるかも知れません。立てかけといたら倒れたという事故もあり得ます。全ての不測の事態から楽器を守るのがケースの役割なのです。
移動の時は抱き抱えるようにして持ちましょう。ネックを持って振り回すと楽器に壊れて下さいといっているようなものです。また、部屋や建物を変える程度の移動でも、一旦ケースに納めて持ち歩いて頂きたいものです。転んだり躓いたり、幾らでも破損を誘発する事故は起こり得ます。ケースは全てから楽器を守れる訳ではないのですが、大抵の衝撃からは楽器を保護出来ます。

楽器を机等に置く場合ですが、邪魔者を皆退かせて平らな面を充分作り、楽器より高い所に不安定なものがないか上空を観察、あれば固定するか退かせて、裏板とうずまきの下を充分守る広いやわらかい布をひろげる(ケースのブランケットが手頃です)等して硬い面に直接楽器が触れるのを避け、表板を上に向けておくか、楽器の魂柱側を下にして横向きに立てるかの何れかをとります。但し、置いたままその場を絶対に離れないで下さい。地震雷火事オヤジ、その他チャイルドアタック、バードアタック、無防備な楽器を襲うアクシデントを想像するだけで切りがありません。何かこういう姿で置く場合は、極一時両手をあける為に置かざるを得ないと考えられる時間に限ることです。

楽器を点検するとき、お店で試奏をしたりと自分のものでない楽器を持つ場合を含め演奏状態を除く全ての保持は、ネックを持ってエンドピン周辺に掌を当てるようにします。ニスの硬化が不十分な新作だったり、気温の高い環境では、うっかりボディを両側から鷲掴みにしたりすると指紋や掌紋がついてしまって取り返しが付かなくなります。弦楽器はデリケートなものですし、価格も天井知らずですから、普段からエチケットとして、ハンドリングには充分注意しましょう。

演奏前には、弓毛を張ります。弓の後端にあるつまみをボタンといいますが、これを右に回して、弓毛と棹の間にもう一本棹が入る位に張ります。続いて弓毛に適量、飛び散らない程度松脂を塗ります。松脂の塊に弓を乗せて、全長の1/3づつ往復させ乍ら送っていき、2回程繰り返します。松脂は、固形ですが粉末の塊で、手で触れるとべたつきます。このべたつきを利用して弦を小刻みに接着したり離したりを繰り返すことで発音するのです。また、弓毛には、素手で触らないようにしないと、手の油脂が付着して松脂の効果を損ないます。触ってしまったらその部分をちり紙を折畳んだものの上に置き、数回弾く動作をし、松脂を塗ります。
それが済んだら楽器の調弦をしなくてはなりません。バイオリンは、細いほうの弦から1・2・3・4弦と数え、各々の名称は太いほうからその調弦音名をドイツ語読みして、ゲーセン(G線)・デーセン(D線)・アーセン(A線)・エーセン(E線)と呼んでいます。ピッチパイプやチューニングメーターで各々太いほうから、G(規準Aの1オクターブ下のソ)・D(規準Aの下のレ)・A(規準A・ラ)・E(規準Aの上のオクターブ中のミ)に合わせても構いませんし、先ずアーセンを合わせ、隣のデーセンと同時に弾いて和音で合わせ、次にデーセンとゲーセンを同時に弾いてまた和音で合わせ、最後にアーセンとエーセンを同時に弾いて和音であわせる方法でも構いません。但し、バイオリンは、ある弦の調弦行為が他の弦に影響する楽器である為、全弦が正しく合わせられる迄には大概数回この作業を順序通り繰り返す必要があります。全くの初心者は楽器が悪いのではと思ったりしますし、これがネックでやめてしまう人も出る壁ですが、これでも楽器はまるで正常ですし、この作業は「音を覚え、つくりだせる」という、初心者にとっては全く新しい自分の開拓の最初の一鍬でもありますから、むしろこの為に楽器を買ったと発奮して頂きたいところです。
弾き終えたら、弓の張りを緩めます。毛が弓のシャフトに触れない程度には緩めておかねば反り加減が変わって弾き辛くなります。付け過ぎた松脂は、綺麗な紙等で拭き取り、弦に付いた松脂も拭き取らねば積もり積もって発音が悪くなります。楽器に飛び散った松脂は、そのままにしておくと取り除けなくなります。指紋や汗脂の類いも都度拭き取らねば楽器を傷めます。数日に渡り使わない時や移動の時は、1音分弦を緩め緊張を解きますが、緩めすぎると季節の変わり目に魂柱が倒れてしまい直ぐ使えなくなってしまいます。
綺麗だからとスタンド等に置いて飾るのは結構ですが、直射日光が仮令一日に五分でもあたる場所に置いてはいけません。湿気の多い物置きや洗面所、台所等に仕舞ったりするのも禁物です。事故を避けられ安全に管理出来る特別なショウケースか何かでもない限り、楽器は必ずケースに納めて頂きたいものです。
往年の名器が名器の格を守って来たのは、心細やかで高級な手入れと管理がずっと為されて来たからです。
自然に枯れ、不純物を吐き捨てた老木となった、完全管理された古典楽器は、弾き手の手腕が優れていれば答えようもない快感を聞くものに与えますが、お求め頂いた私共の楽器がそういう音を奏でる機会は朽ち果てる迄ないと言い切ることも絶対出来ないのです。
私達の提供する楽器が、持主にとって名器たるべく末永く使われ続けることは誇りでもありますし願いでもあります。大切にすれば生涯に渡って使える楽器であることに間違いはありません。値段が安いから直ぐダメになるというものではないのです。

練習は

当店からお求め頂いた楽器には、弱音器という、駒の上に乗せて音をしずめるものを添付している場合があります。改めてお求め頂く方もあるでしょう。これで夜間や早朝等、また大音量を憚られる場所での練習を身近にしていますけれども、出来るだけ楽器から出る音を生で聞くほうが上達が早くなります。譜面でミュート指示されている曲にも使います。
最初の練習、バイオリンを触ったこともない人の練習は、先ず何より弓使い(ボウイング)を会得することから始まります。楽器のネック部分を保持せず、ネックの根元を大きく手のひらで包むように押さえ、肘を楽器の真下かより胸側に来るように捻って固定します。弓を水平に構え、先ずは平たく弓毛をアーセンに接し、左右のF字穴の上端の丸の部分を繋いだ線辺りから外れないように弦と直角に弓全体を使って安定した音が出せるようにゆっくり往復させます。綺麗なAの音を得られる迄、音楽鑑賞が好きな成人の場合だと、一日に10分練習しても一週間は掛かる筈です。実はこういう練習に弱音器は必要なのです。勿論それだけやっていても飽きるので、他の弦も弾いてみる、と興味に後押しされる行為は歓迎されるべきです。アーセンを弾いていると、他の弦がつられて唸っているのが聞こえます。共鳴しているのです。バイオリンと言う楽器は特別な奏法指定がない限り単音のメロディを奏でる楽器ですが、この共鳴が音を深め、演奏する者聞く者両方を四百年も虜にして来たものなのです。
その後は弓返しの練習等に進行するのですが、とてもお話だけで教えることが出来ない程、奥が深いものです。書店等で入門書を入手するもよし、当店推奨のDVDをみて練習するもよし、バイオリン教室にショットショットで教えてもらいに出向くもよし、兎に角音階を奏でられる迄頑張りましょう。
どんな教本にも簡単な練習曲が盛り込まれています。簡単と言う勿れこれがなかなかなものなのです。有名な「きらきらひかる〜おそらのほしよ〜」の『きらきら星』は、余りに有名なだけでなく何百も変奏がつくられる程愛されています。特にバイオリン奏者は全て、キラキラ星を通過して来る言うなれば聖典でこれを省いている教本を探すのは大変です。練習曲は簡単そうで実は難しいのです。普通きらきら星を弾いているというと、大体練習を始めて一ヶ月かそこらだ、と目算がたつ程その進行の規準となるものです。決して練習曲を避けて通らず、納得行く迄さらって下さい。そうしていくことで指板上での指の動き、弓の動きと圧力の掛け方傾け方等数多のコツが身に付くだけでなく、楽器自体が自分に馴染んで来ますし、楽器の鳴りも良くなると調整にもなるものです。バイオリンはじっくり弾き込んで馴染ませる必要がある楽器です。ケースから出し入れし調弦を繰り返すことで、楽器自体が力加減を覚え、安定して来ます。外気に触れたり遮断されたりすることで、落ち着いて来ます。鳴らすことで、柔軟になっても来ます。最初は音の立ち上がり等に癖があるものですが、使われていくに従い柔和な発音が出来るようになっていくのです。弾き手が馴染むということも当然、それにつれてあるのですが、楽器は弾き手より馴染むのが遅いので、飽きず慌てずじっくりと、それに付き合う意味でも練習を繰り返して頂きたいのです。

整備のタイミング

そして気になる、調整や整備に何時出せばいいかということになります。
弓の毛替え程度でしたら、実際何処に頼んでも大した違いはありません。必要に迫られた時で構わないでしょう。タイミングとしては毛が断裂により減り片寄った時とか、くさびが弛んで抜け始めた時です。
楽器本体に関しては、結構マメな整備が必要なんです。
お求めになった工房は、大抵その楽器の最良の音色を研究してセットして引渡しています。しかしながらバイオリンの属の弦楽器は、とても旧いやり方、人の六感を元にして作られている都合から、個体ごとの強度や佇まいが全然違います。季節の移り変わりや演奏活動の状況により、どんどんその姿が変わっていく程ナイーブなのです。
音に元気が無くなったから弦を替えるのはよく試されることです。新しく強い弦が乗れば、勿論状況が変わりますので音色にもその時は変化があり安心します。ところが案外楽器の元のパフォーマンスに戻せるというモノでもないんです。弦は引き伸ばされることで直ぐに様子が変わります。幾日もしないうちにまた頼りなくなる。だからまた弦を替える。この悪い循環でどんどん楽器のストレスを増していきます。
弦の強さは、新しい時よりむしろ数週間経てからが本領発揮、つまり安定し始めるのです。バイオリンの場合は特別強いピチカートを与えたり、調弦のミスでオーバーテンションを掛ける機会が多くない限り機械的に強度を奪われることがない環境ですから、弦を替えて変わった音色に安心してはいられないのです。
日本には確実な気候の変化が年に4回あります。極低湿度とびしょぬれ同然の高湿度の差は人間にとっても調整が必要な程です。楽器は生体ではないので自分でそれに合わせていくことは出来ません。温度の変化も大きく、年間の気温差は普通に摂氏30度あり、これには人間さえ抗することが出来ずしばしば体調を損ないます。
これを幾度か繰り返せば、楽器は疲れ、それが持つ力を損なってしまいます。
うちのような工房の主な仕事は、こうした楽器の健康状態を適正にし、将来の様子を読み取ることです。医者みたいなもんですね。定期的に健康診断をさせて頂けると、御愛用の楽器の様子を時系列的に記憶することが出来ます。これはカルテに記載出来る明確な症状ではなく、どのように育っていくか、いやお品のコトですから老いていくかを知る機会なのです。一定以上の時間が経ってしまってからでは極々対症療法的な手当てしか出来なくなりますので、成功率が大幅に下がったり、結果が長続きしなかったりしてしまいます。
都度拝見している楽器の調整や清掃は、たまにお持込頂いて大仕事になるよりも軽く済み、当然乍らより安価に収まります。私どもとしても酷くなってから悩むより、時を追い繋ぐお手当の方がより安心して施せるのです。
季節の変わり目や、それが無理な場合でも年に2回の発表会の前数週間のタイミングで診せて頂けることは、楽器も、奏者も、勿論私どもも、大事な元気を得る機会と感じます。整備の御依頼は、そうした時期に迷わずご用命になることをお薦めします。

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