編集者記:
こちらは元大手企業マリーナ運営担当を為さった方のプライベートな手記から引用したものです。この方はいろいろな事情を御自身の経験と照らし、御自身なりに検証して得た思いを手記に綴られ、時折私に開いて下さいます。
以下の文面は、その中の極々一項目に過ぎませんが、大切なことが多くある為、後々の概念を育てて頂く為にお読み頂いた方が善かれと判断し、掲載します。
標題は、編集者によるもので、手記の内容とは異なるかも知れません。


諸兄も時代の子なれば、当然ゴルフ会員権バブルの波に洗われたことであろう。 そして賢明に処されたことと思う。 小生は幸か不幸かゴルフ会員権に関心がなく、波は遠くを過ぎた。 多少関係ありとすれば、将来の相模のステータスを夢見て入った志摩ヨットハーバー の会員権価格が当時の5%になったことか。

マリーナの会員権について小生が1995年に書いたものがあるので引用しておく。

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日本の本格的なマリーナ建設は昭和39年東京オリンピックのために作られた湘南港 江ノ島ヨットハーバーをもって始まりとする。それまでは自然条件を生かした船溜ま りの一角に屯する細々としたものであった。本牧にあった横浜市民ヨットハーバーと か神戸妙法寺川の旧須磨ヨットハーバーがそれである。これらはヨットハーバーであ りマリーナとは言えない。

その後昭和40年代に入ってマリーナ建設は大きな盛り上がりを見せる。
佐島(40 年)、シーボニア(42年)、サントピア(48年)、日産マリーナ東海(49年)など、 名だたる民間マリーナがこの時期に建設された。
しかし直後に襲った2度にわたる石油ショック(48、53年)が、これら新設マリーナ に壊滅的打撃を与えた。石油価格は10倍20倍に高騰し、プレジャーボートに油を焚 く者は非国民となった。

昭和50年代を通じてマリン業界は気息奄々たる時代が続き、とても新たなマリーナ を建設する元気はなかった。森繁久弥氏が作った佐島マリーナが日産に経営委譲された のもこの時期である。 こうして15年間の新設マリーナ空白期が続くが、昭和60年代になって急激なマリ ンブームを迎える。
そう、バブル景気へと続く高速膨張期にあたる年月である。

バブルの時期、世の中は狂った銀行を中心に皆が狂っていった。リゾート開発、特に ゴルフ場開発に絡んで会員権商売が狂想曲を奏でた。茨城カントリー事件がその典型 であるが、計画だけで簡単に多額の資金が集まった。銀行は庶民に簡単に金を貸し た。 ボート&ヨットの保管場所・係留場所の極端な逼迫を背景に、マリーナ建設において も会員権商売をしようとの考えは当然出てきた。
しかしこのアイデアはマリーナ建設 では殆ど実現しなかった。

マリーナ開発において高額な会員権システムが見られなかったのは次の理由によると 考える。

それでも60年代および平成に入ってからの計画には高額な会員権を前提としたもの が多くなった。その多くはバブル崩壊とともに計画そのものが崩壊したが、そのまま 出来てしまったのがハウステンボス・マリーナ(92・10)と金沢八景島シーパラダイ ス・マリーナ(93・4)である。
ともに2−3千万の入会金を要する画期的なマリーナであり、わが社を含めマリン業界がこぞって注目した。しかし遅れて来た少年にとって経過は思わしくなく、両者と も94年9月現在水面は寥々として風が吹き抜けている。

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追記: バブルの時期、葉山マリーナやシーボニアの係留権に5千万1億の声がかかったが、 これは既存の係留権に対する需給価格であり、会員権システムとは異なる。

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マリーナ建設と会員権についてのレポートは1995年のものなので、あら ためて現在の感想を書いておきたい。

江ノ島ヨットハーバーの建設は昭和39年であった。
純公共マリーナであり、ヨット協会など体育会系の思想や体質の影響下にあって随分 潔癖で清潔な世界だったと思う。 もちろん死亡継承さえ認めない係留権に絡んでのいろんな噂もないではなかったが、 それでもバブル紳士の出入りする場所ではなかった。 この頃の日本の社会はまだまだ健康だったのだ。

マリーナを建設するに当たっての2大関門が公有水面埋立の許可と、公有水面の占用 許可である。
公有水面埋立法では、官または50%以上が官の3セクにしか公有水面の埋立は許可 されないことなっていた。つまり私企業は海を埋立てて土地を造成することは出来な い仕組みになっていた。 公有水面の占用は、法律で定められているわけではないがレジャー用途への許可は出 ないと考える方がよかった。
どうあがいてもそんな前例がないと却下されるのがおち であった。
これらの仕組みはプレジャーボート&ヨットの係留場所に悩むマリン愛好家や、マ リーナを建設しようとする企業にとっては怨嗟の的であった。どれほどこの規制を憎 んだか。 見方をかえて、一時期はこの規制がわが国土、海岸線の野放図な開発の歯止めとなっ たのは事実であろう。官の意図するところもそこにあっただろう。 しかしだんだんと規制は官の出金システムに変化してゆく。

利島の港を見よ。
総戸数40戸あまりの島に眼をあざむくかの如き大港湾が建設され ている。東京都民で見たことのある人は何人もいないだろう。
首都圏の人ならエクシブ・初島クラブのTVCMを眼にすることがあろう。あれに出 る港を何とご覧ずるか。
以前あそこは鄙びた入江に桟橋が1本出ているだけの避難港であった。我々は何十 夜、あそこでの停泊を楽しんだか。 いま60億の費用をかけた港が出来てCMになっている。エクセブ専用の桟橋の如 く。我々が泊まると一夜12000円の係留料を請求される。こんなものはない方が ずっと良かった。
初島の港はフィッシャーリーナの金で作ったという。フィッシャーリーナとは漁船の ために作った漁港をプレジャーボート&ヨットのために開放する制度だと聞いてい た。 さにあらず、フィッシャーリーナとはプレジャーボート&ヨットのために漁港を改修 する制度であった。つまり出金システムなのであった。

マリーナ不足の原因に漁業補償問題、漁業者の横暴を言う人も多い。 しかし漁業権問題の最大の悪は電力会社なのだ。 造成地を求め問題の早期解決を望む企業は多かれ少なかれ補償に応ずる。しかし電力 会社は節操もなく言いなりに、いや言われるよりも先に多くの金をばら撒いた。彼ら はコストを保証されているから金高に関心はないのだ。 関電の原発折衝ではしなくもその一端が露呈した。 我輩は漁民をスポイルし日本社会を劣化させた元凶の一として電力会社を憎む。

日本のマリン文化の破壊者西洋環境開発の名前をどうしても挙げておかねばならな い。
いわずと知れた堤清一の作った<環境を開発して儲ける>ための会社である。
これにはバブル の分け前に涎をたらして多くの会社が参加した。 これがどこでどうしたのか知らないがシーボニア・葉山・逗子の経営権を手に入れ た。これらマリーナこそわが国マリン文化の中心であった。シーボニアはヨット乗り の聖地であった。
しかるに西洋環境開発はその文化を踏みにじった。日本のマリン文化はそこで一旦いのち絶えた。
当時西洋環境開発トップと数度面談する機会があったが反吐の出る思いであった。 堤清一と西洋環境開発歴代トップを八戸のイカ釣り漁船20年乗務の刑に処す。降り ることかなわず。 ハハ。20年のうちには介護保険が要るようになるだろう。

我輩の好きな会社ではないが、わが国のマリン業界に圧倒的なシェアと影響力を持つ ヤマハが一貫してバブルに乗ずる姿勢を見せなかったことは評価して記憶に留めた い。

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