ランプのある暮らし・・・
ここで話すランプとは、灯油を焚く、あの弱々しい灯りのことであって、キャンプ等に使う激しく強い便利な灯りを齎すものではありません。
また、同時にここで言うランプは、野外で使うものではありません。
同時に、ランプを灯すところには、既に電灯が引かれていることが条件です。
はぁ?
そういうあなた、忙し過ぎませんか。
忙しいんですよ。
正直、忙しい。
外へ出れば、仕事・仕事・仕事。うちへ帰ってもSOHO状態。休めるのは便所と風呂だけかと思えば、逆にいらいらいらいら。
常に、昼間も夜も、こうこうと灯りで照らされ、身の回りは電気と電波と電子の網絡でがんじがらめ。コストに追われ、ぎりぎりの収支に煽られ、必死の結果の「好景気」は、いざなぎなんて夢のまた夢。成長レベルなんてそのころの一割にも届かないでショ。
あなた多分、イザナギ世代の倍は働いてますよ。
だって大体終電が3時間遅いでしょう。
タクシー何万倍もあるでしょう。自動車当たり前だし。
もう世の中、あなたの睡眠時間が2時間だって、カンケイネエッスよ。
つぶれなきゃいいんだから。
株主に配当が払えて、安売りされないよう持たせ支えられればいいんだから。
そんななか、残念ながらモウ、外で遊ぶゆとりなんて、ないんじゃない?。
あなたの身の回りの「電子武装」は、まあそのままでもいいですよ。それを止めて迄闘えとは言いません。逆にそれは、まずいですよ。
せめて、電灯消してみましょう。
5分でいいですよ。
その間、電灯でない灯りを見てみましょう。
灯りで何かを見るのではなく
灯りを見てみましょう。
ろうそくじゃ、意味なし。
硝子のホヤに大切に守られた炎が揺らめくのを、しばし眺めて下さい。
大して昔でもない時代、人が暮らす灯りはその程度でも強力でした。
確かに暗くてやり辛いことも多かったろうが、それでも遅く迄学び働いたものです。
でも彼らは短命だったでしょうか。大した働きは出来なかったのでしょうか。
その逆でしょう。
今は大体その時代の人の作り上げたものを多少色付けして使っているに過ぎません。
作り出した人の多くは長命でした。多くの人は健在です。
あなたのつくったものは半世紀残りそうですか。
あなたの売ったものは生涯愛されそうですか。
無理でしょう。そりゃあ無理です。でもいいじゃないですか。
蛍光灯を消して、ランプを5分ともしましょう。
その炎は、蛍光灯のように冷たい灯りでない代わり、弱々しいものです。
でも、手で触れないくらい熱い。
ちびてなくならないかわり、
あいしてくれるひとに
あぶらをそそいでもらわないと
きえてしまうのです。
あなたのいきざまみたいじゃありませんか。
ほのおはよわくて、
せめてともるていどのやくにしか
たたないのです。
あなたそのものじゃないですか。
いくらあついほのおでも
あれこれ、けそうとするものは
いるんです。
いよいよ迫り来るものがありませんか。
かよわくふわふわしていても
わたしのあかりがともっていれば
あたりがほのかにあたたまるのです。
ひとりひとりの存在価値ってそういうもんじゃないですか。
今はランプに実用性等、ありやしません。
どこのキャンプ場だって、ちゃんと電源がありましょう。ないとこあるんすか?よくしょうばいになってるな...。
人が行き交うところは今どき電灯で照らされているものです。
でも、ランプを忘れないで下さい。自分のこと忘れることになりますよ。
今だから、ランプが欲しいのかも知れませんね。